吾輩は母である

よわよわワーママの日々徒然

準備なし! 見切り発車のサバティかれないタイム

完遂されない完璧主義など、他者から見れば存在しないのと同じである。

 

準備を完璧に整えたい。

安心と成功の予感を手にしてから事に臨みたい。

そのための時間はないし、工数多すぎて……と思ってるうちに興味は旬を過ぎ、ただの「やりたかったこと」として私の心にだけ残る。

ワクワクしてることは誰かに話したくて(主に犠牲となっているのは私の夫であるのだが)、私は40歳目前にして立派なやるやる詐欺師となった。

 

私にはたくさんの「やりたかったこと」「いつかやりたいこと」があって、マニュアルやノウハウや参考書籍やWEB記事が、スマホにPCに本棚に溢れてる。

都度行動すれば要不要も分かるというのに……正直邪魔なのだ。

そして、限界を超えると全部捨ててリセットしてしまう。

 

出産を区切りにして価値観ががらりと変わったから、これを機にリセットしてもいいと思った。

しかし、根本をどうにかしないと死ぬまで同じことを繰り返すのは目に見えている。

 

もうひとつ問題があって、未だに母親の影響から抜け出せていないこと。

お金にならないことは意味がない。

成果につながらなければ意味がない。

そういう母親の教えが、私と合わないことに気づいたのは大人になってからだった。

母の価値観を素直に受け入れるでもなく、親から精神的にも物理的にも離れる勇気もない。

そうして歳を重ねて、母と私のどちらの意にも沿わない行動を繰り返した結果、ものすごく中途半端な人生を今も歩んでる。

たくさんの選択肢のうち、やったほうがいいことには身が入らず、本当にやりたかったことには手がつけられない。

 

そういう日々とおさらばするべく、この場所を用意した。

本当は〜コンセプトとか〜ぱーそなるぶらんでぃんぐとか〜ブログとか〜アフィリエイトとか〜なんか〜色々準備できることが〜あるとおもうんだけど〜

そう考えて軽く5年以上経ってるんでね……。

 

昨日から、私は私の楽しみにしかならない、誰の目も意識しない、将来にも収入にもキャリアにもつながらないことばっかりするって決めた。

仕事と育児はやめるわけにはいかないから、完全なサバティカルタイムにはならないけど、できることからやればいいのよ。

優先度の低いことばかりやって「なんにもしてないわけじゃないのに、いつまで経っても満足できないな」って首を傾げてるの、馬鹿みたいだからさ……。

 

失われた産育休の期間くらい(まずは1年)、気持ちだけは自由に生きてみる。

そうしてるうちに私は40歳になり、介護保険の徴収が始まるんだ。

少しでも充足した40代を過ごしたいね。